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〜ビッグウェーバーはチームワークで助け合う。その究極をいくトゥインの世界〜中迫謙吾×岩佐大輝 #3

プロサーファーとして数々の過酷なコンテストを経験してきた中迫謙吾さん。現在は、競争の世界とは対極のサーフィンに力を注いでいる。自らをビッグウェーバーだという謙吾さんがめざす、サーファーとしての最終境地とは?

左:中迫謙吾さん 右:岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐)YouTubeに、謙吾さんがビックウェーブにトライする序章みたいなのがあったんですけど、あれはどういう企画なんですか?

中迫)僕、24歳くらいからずっとトゥインがしたいと思っていて、宮崎でそのチームを作りたかったんですよ。タイミングがなかったわけではないんですけど、結局やらずで。でも、今回チャンスがあって「ジェットを自由に使ってください」って、サポートしてくれる人がいたんです。あ、このタイミングだったんだなって、今は思っています。それまでに20年かかりましたね。

※トゥインサーフィンとはサーファーと動力船(水上バイク)がペアになってビッグウェーブに挑戦するスタイルのこと。

岩佐)ハワイのレイアード・ハミルトンのようにトゥインでビッグウェーブをやるんですか?

中迫)もちろんビッグウェーブをやるんですけど、デカい波をやったからどう、とか、そういうことは考えていないですね。もちろん、やりたいポイントはあるんですけど。

岩佐)チームでやるっていうことは、何人かの仲間で、ジェットを使って何かしらスポーツをするっていう、そんなイメージですか?

中迫)そうですね。どちらかといえば、僕はビックウェーバータイプですよね。で、ビッグウェーブの世界って助け合いなんですよ。コンテストは違いますよね。

例えばコンテストで誰かリーシュが切れたり、板が折れたりしたら、よっしゃー!とか思う訳じゃないですか。でも、ビッグウェーブって、リーシュが切れたらみんなで見守るとか、危ないやつがいたら全員で助けに行く。その究極がトゥインです。波に乗る方、ジェットを運転する方、お互いに命を預けて、リーフで見守っているやつもいる。何かあったら海上保安庁に電話するとか、もうチームワークですよね。それがやりたいなって思って。



岩佐)トゥインのレスキューって、あれ相当スキルが高いでしょう?僕も宮城で台風コンディションで沖に出るのですが、トゥインパートナーがいればいいなーといつも思います。必ず二人以上で出ますが、生身だと挑戦には限界がある。

宮城県沖のうねり Surfriderは岩佐  photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐)それにしても助けに行くのも命がけですからね。日本にトゥインのプロフェッショナルっているんですか?

中迫)僕の友達なんですけど、沖縄にいますよ。そいつはプロフェッショナルですね。日本でナンバーワンです。そいつともトゥインやろうよって言ってるんですよ。あいつは沖縄でやって、最終的には一緒にできたらいいですよね。

岩佐)最高ですね。謙吾さんも引っ張って、レスキューの方もこれから磨いていくってそんなイメージですか?

中迫)そうですね。ライフセーバーの免許は20代の頃に取りました。ジェットの免許ももちろん取って、ジェットレスキューを習ったり、試験を受けたりしました。
そういうのをちょこちょこやってきたんですけど、実践はド素人なんでその過程を一から作って行くっていうのが面白いですよね。世界ではやっている人もいますけど、今周りにはいないですから。

岩佐)例えば、ビックウェーバーってジェットでレスキューする方へのリスペクトって高いですよね。乗る人と同等のリスペクトがあります。

中迫)日本はないですよね。今、コンテストしたらレスキューでライフセーバーって絶対に入るんですよ。ライフセーバーに対して、海外と全然違いますよね。僕もライフセーバーで海外とかに出ていたんで、それはすごく感じていました。

岩佐)日本でも海外のようにレスキューやライフセービングがもっともっとリスペクトされるような雰囲気になるといいですね。共感します。

中迫)そういうところも高めていきたいですね。ライフセーバーも波のことを知らない人はたくさんいるので、そっちもお互いにレベルを上げていかないといけないと思いますね。



岩佐)サーファーとしての最終目標みたいなのって、何かあるんですか?

中迫)僕にとってはトゥインですね!それが一つの答えというか、一つのゴールというか。“サーフィンはチームワーク”っていう究極ですよね。それがトゥインなんですよ。

岩佐)それは日本にないですもんねぇ。

中迫)そうですね。まぁ、海外から上手い人を連れて来て、ピューって乗ることって、それなりに簡単なんですよ。そんなの面白くないですよね。

岩佐)それにしても引き手のスキルってハンパないですもんね。

中迫)仲間で命預けて、いろんな危険を乗り越えていくっていうのが面白いですね。最終的にそれで乗れたらもう、最高ですね。それが作りたいです。

岩佐)どれくらいのビッグウェーブを狙っているんですか?

中迫)今はシークレットポイントで15フィートくらいですね。まだ15フィートは誰も乗ってないんですよ。そこはパドルでは乗れそうにないので、テイクオフもトゥインで。波のうねりによっても変わりますけど、ド三角な波です。

岩佐)それはすごいじゃないですか!いやー挑戦者の話を聞いて久々に熱くなりました!!いやー、謙吾さんアツいなぁ!

おわり



















〜移住者がローカリズムに溶け込むためのオキテ〜宮崎のプロサーファー中迫謙吾×岩佐大輝 #2

プロサーファー、ガイドとして活動する中迫謙吾さんが暮らすエリアでは、サーファーの移住者も増えてきている。ローカルと移住者が共存していくためには、ある一定の配慮も必要。サーファーとして、人として、移住者が大切にしなければならないこととは?

プロサーファーの中迫謙吾さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐)サーフショップって、けっこう大変なビジネスじゃないですか。そんなに儲かるわけじゃないし。海のように権利があってないようなところでビジネスする、そこの難しさはないですか?例えば「このスポットは誰々のポイント」だとか、そういうのがあるじゃないですか。

中迫)ありますね。昔はもっと強かったですけど、最近はだいぶんなくなってきましたよ。僕はそんなものなくした方がいいと思っていますからね。宮崎のこの素晴らしさを、来て、見て欲しいですね。

岩佐) そのローカリズムみたいなのって、どこからエネルギーが起きるものなんですか?

中迫)ローカリズムは大事だと思います。僕もホームがあるんで、そこでやりたい放題されたら、やっぱり嫌ですよね。

岩佐) その感覚って大事だと思うし、時に排他的になることもあるし、そのバランスって難しくないですか?

中迫)その日の波にによっても違うでしょうね。波が良ければローカルもちょっとピリピリしてくるでしょうし、あとは空気を読めるかですよね。その土地で全然違うと思うんですよ。ものすごくキツイところもあるし、宮崎はわりと優しいです。

岩佐) 波をみんなでシェアし合うとか、ローカルの人がいたらピークをゆずるとか。そういう基本的なことはもちろん重要ですよね。これって、海の上に限らないことですが。

中迫)はい。で、次はいかにそのローカルの中に入れるかですよね。認めてもらえるかどうかです。そこの波だけ乗って「楽しかったー」じゃあないですよね。そこのローカルと仲良くなって初めて、楽しかったってなりますよね。



岩佐)謙吾さんのローカルポイントってどこですか?

中迫)基本的には一ツ葉っていうビーチブレイクです。地形は良くなったり悪くなったりなんですけど、キマったらすごい波ですよ。正直、世界にも誇れる。

岩佐)謙吾さんはSUPもウイングフォイル、カイトもやるじゃないですか。宮崎みたいな伝統的なサーフスポットがあるところは、新しいことに対する風当たりが強くないですか?

中迫)新しすぎてみんな「何やってるの?」って感じですね。これが5番手6番手だと「お前あっちでやれ」とか言われるかもしれないですけど、みんな何も言わないですね。真っ先にやるんで(笑)。「なんかまたやってるよ」って。それがおもしろいんですよ。10年以上前にサップを始めた時も、最初すってんすってんコケて。それを見てみんなが笑っていて、それがいいんですよね。

岩佐)ローカルの中に入っていくって、実際どうしたらいいと思いますか?謙吾さんは、何かこだわっていることとかありますか?

中迫)まずは10歩、20歩引きますよね。引くけど、これは俺の波だっていう波がきた時は、怒られてもいいから乗りますね。目立たないようにしているけど、目立つところはちゃんと目立とうと、自分の波を見つけますよね。

岩佐)そこ!重要だと思いますよ。遠慮ばかりして乗らなかったら一目置かれないじゃないですか。これはサーフィンだけでなく、どの世界でもそうだし。最初から行きすぎたら淘汰されちゃうじゃないですか。だから様子を見て10歩20歩譲っても、これだと思ったらもう絶対逃さずに乗る。サーファーにとったらとても深い話ですよ。震災後に東北に移り住んで10年たった今も頑張っている人たちもまさにそこ。つまり「人々をリスペクトはするけれど自分のオリジナリティを失わずに思い切って行動している人」が生き残り「迎合した人」は去っていく。



岩佐)宮崎って、サーフィンの移住者ってまぁまぁいるじゃないですか。そういう人に対する、ローカルの風当たりってどうなんですか?
例えば、今コロナウイルスがあって、ワーケーションっていうのがありますよね。こういうところに移住して、サーフィンやって仕事するって人たちが出てくると、ローカルの流れとは違う流れができるわけじゃないですか。それを上手くやる方法って何かあるのかなって思って。


中迫)僕はもうローカルの目線なんで、そこからみると…まぁいろんな人がいますよね。
仲良くできる人もいれば、ちょっと受け付けない人たちもいるし。謙虚さがあるとね、仲良い人もいっぱいいるし、それがないと、僕は仲良くなるつもりもないし。陸の上でも、いろいろなところの謙虚さが出ますよね。それがローカルっていうか地元の人からすると目につくんじゃないかなって思いますね。

岩佐) ほんと、サーファーとしてっていうより、人としてどうかって話ですよね。



岩佐)ガイドの仕事で気をつけることってありますか?例えばローカルがいっぱいいるポイントにビジターを連れていくわけだから、気を遣う部分もあるじゃないですか?

中迫)揉めないようには気を付けていますね。でもまぁ、揉めたら揉めたでいいんじゃないですか。それを丸く収められるか、収められないか、ですよね。そりぁ、前乗りすることもあるでしょう。

岩佐)謙吾さんが割って入る局面って、たまにあるんですか?

中迫)ほぼないです!そういうちょっと無茶振りな人は、揉めそうなところに連れて行かないです。みんなが選ぶのは、波の質よりも人がいないところなんですよ。質を求める人もたまにいますけど、お客様の求めているところに連れて行く。それがバシッと合った時は面白いですね。

岩佐)今、宮崎って、サーフィン人口は増えているんですか?

中迫)僕が始めた頃から比べたら、5倍くらい増えているんじゃないですか。県民も移住者も含めて、こんなにいなかったですもん。宮城も増えているんですか?

岩佐)若い人はやらないですねぇ。最近は、車に乗らない子も多いし。サーフィンって道具も高いから、始めるのにハードルありますしね。私、44歳ですけど、まだ若いくらいですよ。宮城も場所によってはローカルオンリーの非常に厳しいポイントもあります。宮崎は厳しいポイントが少なくなりましたよね。

中迫)なくなりましたよね。サーフィンは本来自由ですよ。どこでどこの板乗っても。必要なのは人に対するリスペクトだけです。

岩佐)今日伺った話は深いですね。なかなかローカルの話って、できるようでできないから。

中迫)ちなみに、今日入っていたポイントに数十人のサーファーがいましたが宮崎出身の人って何人いると思います?1、2、3人くらい…っていう感じですよ。けっこう移住者が多いんで。それだけ宮崎がいいところだっていうことです(笑)。



移住者が地域のなかに溶け込み、共存していくためには、謙虚さとともに一歩も引かない芯の強さも必要だと教えてくれた謙吾さん。次回は、謙吾さんのサーファーとしての最終目標について紐解いていきます。

<〜ビッグウェーバーはチームワークで助け合う。その究極をいくトゥインの世界〜中迫謙吾×岩佐大輝 #3 に続く>








〜生と死のギリギリで闘い続けた男がたどり着いた “人生のビッグウェーブ”~中迫謙吾×岩佐大輝 #1

国内屈指のサーフスポット 宮崎で、プロサーファー、サーフガイド、サープショップ ケンゴリアを運営する中迫謙吾さん。マルチな活躍ぶりを見せる一方で、一時はサーファーとしての目標を見失いかけたこともあったという。海を愛する者同士、波を間近に感じながら、これまでの活動の経緯を振り返った。

[写真]右:中迫健吾さんphoto by DRAGONPRESS沼田孝彦

岩佐) 私は宮城出身で、実家がいちご農家だったんですけど、東日本大震災の時に壊滅状態になってしまいました。当時は東京でスタートアップ経営者をやっていたんですけど、故郷を元気にしたくて、宮城に戻っていちご農家になりました。農家をしながら、地元の自然と一体になれることやろうと、20代で夢中になっていたサーフィンを再びやり始めました。
謙吾さんがサーフィンを始めたきっかけは何だったんですか?


中迫) 僕は生まれも育ちも宮崎市で、小学生から高3までずっと水泳をやっていたんですよ。中学生の頃からはサーフィンに興味があったけど、まわりで誰もやっていないし、ボードは高いし。それで、水泳をけっこうガチでやっていましたね。
高校に入学した時に、たまたま友達になったやつが青島出身のサーファーだったんですよ。連れて行ってよって言ったのが始まりで、そこからハマっていきました。ショートボードから始めて、高校卒業と同時に、働いていたショップのライダーになりました。で、21歳の時にJPSAのプロになって、という感じですね。

岩佐) 当時もJPSAのプロになるのはかなり狭き門でしたよね?

中迫) 僕らの時はもうプロテストがありました。プロになりたいやつが4~50人集まって、大会中の1ヒートの合計点で勝ち上がっていって優勝するか、その1ヒートで15ポイントクリアすれば合格だったんですよ。僕は15点以上出して合格しました。
プロサーファーになって、ツアーにも全部出ました。ツアーは千葉、茨城、四国、湘南もありましたね。あとは日本海の京都とか。海外はバリのウルワツでした。コンペに出ていたのは、27歳ぐらいまでだったかなぁ。スクールで教え始めたのも27歳頃からで、店をオープンしたのは35歳の時でした。



岩佐)ということは、27歳までは毎日がっつりガチで練習ですよね。それだけで飯を食うのは大変だったんじゃないですか。

中迫バイトしていましたね。実は26、27歳くらいの時に全然サーフィンがおもしろくなくなって、それでコンテストもやめたんですよ。

岩佐) 面白くなくなったんだ。なんでですか?

中迫)飽きたんですかね。「もうやめよう」と思っていました。その間にスクールで教えたりもしていたんですけど、3カ月ぐらいサーフィンをしていなかったですね。
ところが冬のシーズンが来た時に「あ、ノースショアに行かなきゃいけない」と思ったんですよ。若い頃、プロになる前からハワイへはずっと行っていたんです。それで、ハワイへ行って、コンテストもやめて、吹っ切れて「もう得意分野で行こう」と思いました。大きい波が得意だったので、ビックウェーブで行こうと思って、そこからまたサーフィンをやり始めましたね。

岩佐) ハワイだったらワイメアとかビッグウェーブのポイントもたくさんありますね。当時どれくらいのサイズで入っていたんですか?

中迫)でかいのは20フィートとかはありましたね。僕、20フィートは乗れなかったですけどね。波高は波の裏で測って、だいたい6mくらいですね。

岩佐) 裏で6mでしょ?だから、こっち(表)だと10〜12mくらいですか?

中迫)それくらいです。グーンとうねりが来るじゃないですか。横から見ていたらうねりが来た瞬間、ドーンって海に段差ができます。そんな波です。でっかい階段だなって。とにかくでかいです!怖いです(笑)。



岩佐)当然波に食われる時もあるじゃないですか。食われたら、どんなひどい目に遭います?

中迫)とにかく揉まれますよね。毎年ハワイに行っていたけど、必ず一回は死に目を見ていましたね。「もうヤバイ。もう、死ぬ」っていうギリギリですよ。
僕、小学校に上がる前に、プールで溺れて死に目を見ているんです。走馬灯で人生がパパパパパって出て、最後は母親の顔だったんですよ。死にたくなーい!って言って、目をぱちって開けたらピンク色の手すりが見えて、それにつかまって上がってきたんです。

岩佐) 危なかったですねぇ!
宮崎にもビックウェーブがたつと、何フィートくらいですか?


中迫)数年間に炸裂していたのは15フィートくらいありました。すごかったですよ。ショートボードじゃ入れないですけど、セブン・テンとか、いろいろですね。僕はそこではガンは使わないです。去年使ったのはシックスエイトのすごくゴツい特殊なボードなんですけど、それで入っていましたね。港から飛び込めばパドルでいけるんで。

岩佐) アドレナリンですね。アドレナリンが出て、乗った時の開放感みたいな、生と死のギリギリの感覚を楽しんでいるんですね!でもいつか死ぬかもなって思います?

中迫)日本だったらよほど変なことをしなければ死にはしないかな。無茶とか気絶とか。逆に、好きなことをやって海で死ねたら本望かなって思いますね。



サーファーとして、自分自身の“ビッグウェーブ”を見つけた謙吾さん。次回は、移住者がローカルに溶け込むために、謙吾さん自身が大切にしている、あるルールについて掘り下げていきます。

<〜移住者がローカリズムに溶け込むためのオキテ〜宮崎のプロサーファー中迫謙吾×岩佐大輝 #2 に続く>






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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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