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そして、生活するように旅をしよう!起業家、岩佐大輝の記録。

台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る~

#3_imageヘッダー台湾台東県、東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧代表清水さんのアテンドでサーフィンをする場所の下見中、ここでも必ずポーズを取る中央清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


日本人でありながら台湾・東河郷に移住し、サーフィンのパイオニアとして東河郷で活躍する清水淳さんとの会談も終盤に。この地で直面した試練と葛藤,数々の困難に立ち向かいながらもアグレッシブに生きる淳さんが、この場所にかける思いを語ってくれた。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>
<中編 異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る>

岩佐) サーフィンの話に戻りたいのですが、サーファーにとって東河郷は台湾サーフィン聖地と言われる場所ですよね。ここの波はどんな特徴があるんですか?

清水) ここの波はとにかく万人受けする波です。9月から季節風が吹き始めて波のサイズがどんどん上がって、日本に北風が吹いている時期に風を受けて波のピークを迎えます。そのあと4月くらいで高い波は終わって易しいシーズンになる。天気も良いし、暑いし、夏バイブスが溢れます。

岩佐) 本当に良い場所ですよね。サイズも馬鹿みたいに大きくならないし、波数も適度に豊富ですよね。世界中のサーファーが惹きつけられる場所なのも納得。そんな東河郷で民宿を始めるにあたっての苦労はありましたか?

#3_image01今や台湾サーファーの聖地となった朝日が差す浜辺 この美しい景色と波のコンディションは多くの人を虜にする photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) ここは波が良くて人が少ないから、日本人が気に入る場所だとすぐに分かったんですが、どうやろうか苦悩しました。色々やりましたよ、東京に行ってサーフツアーを扱っている旅行会社を全部訪ねました。でも当時、既に南台湾でいくつかサーフツアーを開催していて、現地に詳しい人たちが旅行会社をシークレットポイントに案内していたんです。だから、その人たちが僕が台東で同じことをやることをすごく嫌って、旅行会社に僕と契約しないように圧力をかけていたんです。それで去年まで日本の代表選手は例え僕の民宿に泊まりたいと言っても、旅行会社がアレンジしてくれなかったみたいです。去年は選手の希望もあって僕のところに予約が入っていたのに、直前になってキャンセルされた、なんてことがあったり。でも変えた店の評価が悪かったみたいで、今年はどうしてもという選手の声があって、やっとアレンジをしてくれるようになりました。それまですごくいじめられていたのですが、僕も気が強いのでやられても立ち上がりました(笑)

岩佐) すごい話ですね…。

清水) 僕も気が強いので全然引かないんですよ(笑) 相当色々ありましたよ。裁判沙汰になったこともあります。僕、手を出されて一番悔しかったことがあったんです。サーフィンを教えた台東の若者がいたんですけれど、調子に乗ってオラオラし始めて。ある日そいつの仲間にわざと海でぶつけられたことがあって、あがってきたところで文句を言ったら殴られたんです。でも手を出したら台湾を出なくちゃいけないことになると思ったので、手出ししませんでした。でも本当にムカついて、知り合いのサーフ仲間に刑事がいたので相談したら、「訴えた方がいいよ」って。弁護士を連れて果たし状を持っていって、タイマンを申しこむことまでしたんです。少林寺の師範にジャッジまで頼んでいたんですけど、その先輩たちから「悔しいけど、ここで我慢したら後から得るものがいっぱいある」って説得されて。それで我慢したら、得することがいっぱいありました!
結局僕に手を出したやつは、周りに友達がいなくなって、サーフィンもつまらなくなってやめて、同じような暴力を繰り返して、ボロボロになっていなくなりました。僕は台湾人の友達が増えたので、結果的には良かったです。もしチャンスがあれば、妄想の世界でボコボコにします(笑)

#3_image02エアリアルを次々とはなつ熱帯低気圧代表の清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 戦ってますね…(笑) ここまで来るんだから色々なことがあったんですよね。サーフィンの作法について言えば、たしかに海で波に乗せないように露骨に徒党と組んでブロックしてくる人たちはたまにいますけど、あれはきついですよね。

清水) ローカルの人が多い場所だとなかなか乗らせてもらえないこともありますね。今は何とも思いませんが、当時は本当にムカついていましたね。

岩佐) ローカルとよそ者のサーファーの関係っていうのは万国共通で難しい。

岩佐) さて、最後になりますが、世界に出て何かをやる日本人はそんなに多くない中、こうやって淳さんは台湾で実際に活動していますが、これからのビジョンはありますか?

#3_image03東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA代表岩佐(右)とLowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳(左) photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 今はレストラン経営がおもしろい。この村には今、宿泊施設は既に十分にあるので、次は飲食店を充実させたいです。あと5年後には美味しい店がいくつかできてくると思いますが、その中で僕のルーツである「原住民と日本人の融合」というテーマを大事にしたレストランを作っていきたいです。あとは今も音楽をやっているので、音楽ライブをしたり。嫁に捨てられない限りは台東にいます(笑) この土地には縁があるし、今となっては自分の地元千葉よりも台東が自分にとっての地元ですから。

岩佐) 人生って感慨深いですね!漂流記のような濃い話、ありがとうございました!


(終わり)

台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る

#2ヘッダー東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


日本人でありながら台湾・東河郷に移住し、台湾サーフィンのパイオニアとして活躍する清水淳さんとの対談は続く。
台湾原住民の生活スタイルに魅了され、現地の人々に溶け込んだ生活を始めた淳さん。そんな彼が、なぜここ東河郷で「熱帯低気圧民宿 restaurant & surf guesthouse」の経営を始めたのか、彼の人生をさらに追っていく。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>

岩佐) 淳さんは東河郷で民宿やレストランも経営していますよね。そこで食べた食事が全部美味しくてびっくりしたのですが、提供する料理やサービスに対するこだわりも強いものを持っているんですか?

清水) そうですね、原住民の生活から得られた哲学が基になっているかもしれません。僕がいた村には、日本人らしい考え方をする年配の方が多かったんです。昔の日本人の思想がものすごく引き継がれている。例えば、とりあえずみんな懸命に働く、怠けない、ものすごく勤勉です。団結して畑を耕して、各々が自分の仕事を全うしています。僕は小さい頃父親の仕事の関係でアメリカで育った経緯もあって、日本人らしいそういうことをしてこなかった人間なので、原住民の人たちから強く影響を受けました。

#2_image01東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて代表清水さん自ら地元の肉製品を燻製にしてゲストに振る舞う photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) どうして東河郷で熱帯低気圧民宿をはじめることになったんですか?

清水) 僕は元々、ブヌン族集落のテーマパークで働いていました。100人くらい収容できる大きな宿泊施設があって、1日に2回原住民の歌と踊りのショーなんかもあったりして。30歳でブヌン族の女性と結婚してその村に住んでいたのですが、サーフィンが好きだったのでバイクにサーフボードを積んで1時間くらいかけて頻繁に東河郷に来ていました。

岩佐) 奥さん、本当に素敵な方ですよねー。それにしても1時間かけて通い詰めるということは、サーフィン本当に好きなんですね。

清水) やっぱりサーフィンは好きなんです。台湾に来た当初から、ここは波も良いし、人も少ないスポットだと知っていたので、当時からこの場所で何かできたら良いなと漠然と思っていたんですよね。それで結婚した後、1年くらいかけて本格的に民宿を始める構想を立てて。市街地からのアクセスだったり波の具合など考えた結果、この東河郷が一番良いなということになったんです。

#2_image02移住当初は何もなかった場所もいまやロングボード世界ツアー最終戦の地に photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 今でこそ台東っていったら台湾サーフィンの聖地っていわれているけど、この民宿をはじめた当時はどうだったんですか?

清水) サーフィンをやっている人なんていませんでした。台東にサーフィンを持ってきたのは僕なんです。今年WSL(ワールドサーフリーグ)の世界大会がここで開催されますが、それも計画の内でした。もともと僕らが結成した台東県サーフィン協会という団体があって、大会を開いていたんですが、その大会がだんだん大きくなってきて世界大会にしたいなと思って。そこでWSLに僕がメールを送って、この場所を紹介し、理事長にも会いに行きました。そんなやり取りをしていたら、台東県が話に乗ってきたので政府に主催してもらい、台湾国際サーフィン大会が開かれることになりました。

岩佐) 国をあげて誘致をするようになったんですね。あのWSLがここで大会を開くなんて、びっくりですよね。僕もここで開催されるCTロングボードツアーの最終戦をテレビでみますけど、ほんといい波。

清水) はい。台東は他の地域と比べてイベントが少ないんです。あるものといったら、熱気球をあげるバルーンフェスタかサーフィン。でも逆に2つしかないから、予算がたっぷり出るんです。WSLのサーフィンの大会で2000万以上出ていますよ。まだ大会までしばらく時間があるのに、もう会場設備を立て始めているくらいの熱の入れよう。台東といったらサーフィンといわれるくらい政府もバックアップしています。

岩佐) そうなんですね。それで台東が人気になってきたわけだ。今日もここのメジャーポイントに入りましたが、2ピークでサーファーが50人くらいはいたかなー。

清水) じわじわ人気が出てきました。現在も15~20%くらい毎年増加しています。3,4年前までは日本人がたくさん来ていたのですが、台東が世界的に有名になってからは、欧米人の観光客も多く来るようになりました。

#2_image03台東、レギュラーのロングウォールが最高。GRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 僕が住んでいる山元町もコンスタントに良い波がある場所なんですが、こんな感じに色々なところから人が来たりするような場所ではないんですよね。どうやったらこういうオープンな場所になるのかな?地方創生のヒントが欲しい。

清水) ここは元々移民の国で、台湾人だって元々は中国から渡ってきた移民たち。そういうベースがあるので、基本的に寛容な気質なんですよね。知らない人が1人で道を歩いていたら「一人でいないで一緒にこっちでメシ食べようよ!」って言ってくる、みたいな人たちです。だからよそから来る人が入り易いっていうのがあるんじゃないかな。でも、僕が台湾に来た当初行った宜蘭のハネムーンベイは当時本当に閉鎖的で、よそ者を受け付けない場所でした。観光客を現地人がボコボコにするような事件も起きていた。そういうことをしちゃったから、下の世代が育たなくなっちゃったんです。つまり閉鎖的になった結果評判が悪くなって、人が来なくなっちゃったんですよね。
でもそんな宜蘭も今は暴力事件がほとんど起きない場所になりました。当時はヤクザがサーフショップや大会を荒らす事件を繰り返していたのですが、ある芸能人が自分が開いた大会を荒らされたことで刑事告発をしたんです。それを発端にして、地元老舗サーフショップとヤクザの関係性が明るみになる一大週刊誌沙汰になって。そこから、台湾のサーフィンにおける暴力は完全にアウトになりました。

岩佐) そうなんですね。でも、人の気質の問題になると、地方創生を目指す人たちにとっては難しい課題になりますよね。

清水) 日本の田舎は入りずらい。僕もアウェイ感を感じます。元々の閉鎖感が変わっていないんですよね。

岩佐) そうかもしれない。「異質に対する寛容さ」,地方を盛り上げるために必要なマインドかもしれませんね。

#2_image04東台湾の海辺を散策、ローカルのあり方を考える photo by DRAGONPRESS沼田孝彦



台東にサーフィンを根付かせ、サーファーにとっての聖地と言われるまでの場所に変えた淳さん。次回、そんな彼がここ東河郷で直面した数々の試練と、それを乗越えてこの場所に住み続ける理由を聞いていきます。


<次回 台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る に続く>

台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは~

あたたかな日差しが降り注ぐ台湾サーフィンの聖地, 台湾台東県・東河郷。日本人でありながらこの地に移住し、サーフィンのパイオニアとして東河郷で活躍する清水淳さんに会ってきた。サーフィン好きどうし、どんな話ができるかドキドキだ。

台湾台東県、東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA代表岩佐(右)とLowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳(左) photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) いやー、久しぶりですねー。台湾には20年ほど前から仕事でちょくちょく来るようになったのですが、ここ数年、農業を始めてからは頻繁に来るようになりました。もちろん、出張に合わせて必ず海に入っています。台湾、特にここ台東の波は本当に素晴らしい。サイズもパワーも形もどれもパーフェクト。で、清水さんが、最初に台湾に来たのはいつでしたっけ?

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 22歳の時です。僕が行っていたアメリカ・ロサンゼルスの音楽大学には世界中から留学生が集まっていたのですが、その中で僕は台湾人の留学生グループに入っていました。台湾人グループの人たちは面白くて、とりあえずみんな優しかった。そこで台湾という国のことを知りました。卒業して日本に戻ってきてから、台湾に遊びにいこうということになって。それが最初の台湾です。

岩佐) アメリカにいたんですねー。どうりで英語が上手だと思った。大学卒業後は何をしていたんですか?

清水) そのあと4年間は東京で音楽関係の仕事をしていました。仕事は真面目にやっていましたが、自分には東京が合わないと感じ、こりゃダメだと思って(笑) 仕事をしながらも年に2回くらいは台湾に来ていました。とりあえず台湾が面白いと思っていたので、それから本格的に台湾に移りました。

40歳を過ぎてからエアリアルの練習を始めたという清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦40歳を過ぎてからエアリアルの練習を始めたという清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) そこから台湾でサーフィンやり始めたのですか?

清水) 初めて来たときから、なぜかサーフボードは持ってきていたんです。アメリカでもやっていたので、できるだろうな、と思って。当時、台北・ハネムーンベイというところにサーフショップがあるという情報を唯一ゲットし、台湾にはじめてサーフィンを持ってきたジェフさんという人を訪ねました。それでジェフさんにサーフィンができる場所を教えてもらいました。海にだれもいなかったので、素っ裸でサーフィンをしたのを覚えています。

岩佐) 気持ちよさそうですね。当たったら痛そうだけど・・・。

清水) はい。近くに店が建つまでの3~4年間はよく素っ裸でサーフィンしていました。

岩佐) 当時は台北に住んでいたんですか?

清水) そうですね。26歳の時に「俺は台湾で暮らしていける人になろう」と決めました。東京での生活は当時月収が20万円くらいで、世田谷にアパートを借りて生活していました。でも毎日カツカツの生活。台北なら7~8万円あれば当時は東京と同じような生活ができたんです。だから台湾のほうが暮らしやすいなと思って、移住を決意しました。そのためにビザを取る必要があったのですが、僕がビザを取るには学生になるしかなかったので、台北の師範大学という語学に通って中国語を勉強しながら、音楽学校で楽器を演奏するアルバイトをしていました。そのアルバイトは当時でも時給500台湾元(当時約2000円)。ライブに出ると1時間で2000台湾元くらい。結構稼ぐことができたので、良い暮らしができましたね。

岩佐) 中国語を勉強しながら、アルバイトをして、サーフィンをする生活だったんですね。

清水) はい、得意の「フラフラしながらの生活」でした(笑)
そんな生活を1年くらいしていた時に、台北でレゲエのバンドに誘われました。当時まだ台湾でレゲエが浸透していなかった中で、そのグループに人気が出てきて、台湾各地をまわるツアーにいくようになったんです。それがきっかけで台東県・宜蘭にも来るようになりました。でも宜蘭の雰囲気があまり好きになれなかったんですよね。

LowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦LowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) それはなぜ?

清水) 台湾は親日の人が多いのですが、宜蘭は割とローカリズムが強い場所だと思ったんです。

岩佐) そうなんですか。僕もたまに宜蘭に波乗りに行きますが、冬場は波のパワーも波数も十分で、いいエリアですよね。

清水) 当時の宜蘭は暴力事件ばかりでした。危なかったです。騒いだりする外国人がいると、現地人10人くらいが囲んでボコボコにする、なんていう事件がよく起きていました。

岩佐) それは、すごい時代ですね…。

清水) そう。原住民に対しての悪い噂もよく聞いていました。でも、初めて台東の原住民の人たちの集落に行ったとき、それまで持っていたイメージが大きく変わりました。原住民の人たちのほうが自分は合うし、こういう生活がしたかったんだ、と思ったんです。みんな自給自足に近い生活をしていて、レゲエの価値観とも近かった。それで自力で住み始めて、結婚もしちゃいました。

岩佐) そうなんだ。奥さんは台東の人?

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて淳さんの弾き語りにあわせ一緒に歌を歌う会計中だった奥様 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて淳さんの弾き語りにあわせ一緒に歌を歌う会計中だった奥様 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 台東の山の人です。ブヌン族出身。ブヌン族の集落で音楽イベントをやっていた時に知り合いました。ブヌン族の村の人はすごくて、原住民のテーマパークみたいなものを作って運営していたんです。歌と踊りのステージをやったり、畑で採れたフルーツを使って加工品を作って売り物にしたり、雑貨を作ったり、色んなものを作っているんです。普通だったら地元には仕事がないから、若い人は村から出ていくじゃないですか。でもそうじゃなくて、彼女の村の人たちは自分の土地で暮らしていけるシステムを作っている。僕はそこに影響を受けました。僕が台東に住み続ける理由です。

岩佐) それは意外ですね。ここは波が素晴らしいから、そのためにいると思っていました。僕も世界中どこに行ってもサーフィンをするのですが、ここ台東の波は素晴らしいですよ。

清水) 僕は波を求めて世界中を回っているんじゃなくて、音楽とライフスタイルのために回っているんです。自分の見える半径1キロ以内で生活の大部分を賄うっていうライフスタイルを自分は求めていたんですよね。

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧の目の前にある海辺にてカメラを向けると必ずなにかしらポーズを取ってくれる photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧の目の前にある海辺にてカメラを向けると必ずなにかしらポーズを取ってくれる photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


台湾で出会った原住民の人たちから強く影響を受け、台東での暮らしを始めた淳さん。次回は淳さんが経営する民宿の話も聞いていきます。


<次回 異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る に続く>

予告!ジャム加工に最適のイチゴをオンライン販売


予告。近くジャム小という規格の加工に最適のイチゴの販売をオンラインでスタートするよー。ご家庭で楽しんでいただけるよう、レシピ動画も公開していくよんー。 #ミガキイチゴ #いちびこ #ichigo #イチゴ #🍓 #イチゴワールド #ichigoworld #migakiichigo #苺 #いちご狩り #strawberry

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【GRA】規格外イチゴ販売のお知らせ(2020/4/15)


Yahoo!ショッピング 「ミガキイチゴストア 」で、期間限定でお得なアウトレットイチゴの販売コーナーを開設しました。

ジャム用イチゴ(バラ詰め小粒) 1.6kg
ジャム用イチゴ(バラ詰め小粒) 3.2kg

https://store.shopping.yahoo.co.jp/migaki-ichigo/

合わせて、大家族向けにミガキイチゴ・スタンダート(8パック)がさらにお得にラインアップ追加しました。

#コロナに負けないで!


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米、WHOへ資金拠出停止=トランプ氏、新型コロナ「中国寄り」批判[NewsPicks]


WHOという組織は極めて優秀なメンバーで組成されている。だけど、頭だけが腐っている。WHOに限らず頭の部分だけが政治腐れしてるのは、国際機関の極めてもったいないところだ。ソーシャルマインドあふれる志高いメンバーは辟易しているだろう。

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#4 岡崎富夢×岩佐大輝  「日本でいちばん屋上を愛する男」が語る人生の物語

沖縄・恩納村名嘉真Villa COLORSにて GRA代表岩佐(右)とPASIO代表岡崎富夢(左)

アウトサイドリビング界の先端に立ち、屋上テラスの新たな価値を創造し続ける岡崎富夢。壮絶な経験を乗り越え、どん底から這い上がった彼が語る人生とは。

<#1 「日本でいちばん屋上を愛する男」のその後に迫る>
<#2 「日本でいちばん屋上を愛する男」の運命を変えたできごと>
<#3 「日本でいちばん屋上を愛する男」が創造する突き抜けたビジネスとは>

岩佐) 富夢ちゃんの生き方についての話が聞きたい。富夢ちゃんは前職の辛い経験があったり、本当に深い苦悩の時期を過ごしたことがあったよね。人間は誰しもそういう苦しさを本能的に避けようとすると思うけど、富夢ちゃんはどう思う?

岡崎) 全部必要だったと思う。今振り返ると、あの時の失敗は自分の慢心からきたんだって分かるんだ。当時、僕は傲り高ぶっていた。僕は人生の中でジュリアス・シーザー、織田信長、ナポレオンを尊敬してる。この人たちは、今でも僕たちの生活に大きな影響を与えるような政治,法律を作り上げて革命を起こした天才だよね。でもこの3人は全員暗殺された。彼らは元々他人を暗殺しようとしていた側の人間だよ。でも慢心によって今度は自分が暗殺される側になった。「俺はこんなすごいことをした、俺を陥れるやつなんているわけない」って慢心したんだ。その結果、僕なんかが敵いもしないあの天才たちが暗殺されるわけ。これをみると慢心ほど恐いものはないって分かるでしょ。自分はあの時慢心した。5年前の失敗があって、それに気付けたんだ。

岩佐) 慢心か...。慢心の恐いところって、一山超えると、また慢心しちゃわない?僕はそれが人の性のように感じるんだけど、どうなんだろう?

岡崎) 本当だよね。だから慢心しないためにどうすれば良いかってことなんだけど、それは「大欲を持て」なんだ。例えば、お金が欲しい、車が欲しい、家が欲しいっていうのは小欲。小欲を叶えると一時は楽しい毎日が過ごせるんだ。でも小欲を満たすことを求める限り、終わりがなくなっちゃう。また次、また次って。そうやって小欲の中に留まると、一生がマネーゲームで終わる。一方で、大欲っていうのは「世のため人のため」の欲なんだ。この大欲だけが慢心を打破すると思ってる。

岩佐) 「大欲を持つ」、これは金言だね!でも人って、ある期間の中で必ず良い時期も悪い時期もあって、心が揺れているよね。富夢ちゃんは経営者として、どう向き合ってる?

岡崎) 僕はね、超長期的視点で物事を考えるようにしているんだ。今みんなIT疲れしている時代になっているよね。だからこれからの世の中、COLORSみたいな空間に対するニーズは絶対に増えてくるってことは確信してる。これだけは間違いない。そう思っているから、10年先を見据えて方向を定めじわじわ進んでいけるんだ。いろいろな市場のノイズがあるだろうけど、僕たちの目指す方向は絶対に間違っていないって信じられるから、心の浮き沈みがほとんどない。

岩佐) 富夢ちゃんのビジョンは本当に明確だ。その境地に行きついた理由は、やっぱり...?

岡崎) やっぱり地獄を見ているからだと思う。5年前に僕は全部失った。地獄を見かけた人が途中でV字復活するのが映画の話だよね。でも地獄を見るまでいったんだよ。僕は自分の人生を会社に例えたら、一回潰れてるんだ。

[写真]Villa COLORSにてPASIO代表岡崎富夢

岩佐) そうだよね。あの辛い時期が、今の富夢ちゃんをつくったんだ。

岡崎) そう、人生にムダな時期なんて一切なかった。今までの失敗,成功,情熱全てがあって今の自分がある。ムダなことなんて何一つない。僕ね、人生で一番大切なことは「Do my best」だと思うんだ。常にベストを尽くす!ベストを尽くせば、どんなことも納得できるんじゃないかな。ベストを尽くさないで、あの時やっておけばよかったなーとか、後悔を残すことはもったいない。結果をコントロールすることはできないけど、自分をコントロールすることはできるからね。それなら、コントロール可能な自分のパフォーマンスを最大化しようと思う。僕の心構え!

僕も大輝ちゃんも、20年前の自分からしたら今こんなことをしているなんて想像もできなかったよね。20年前の自分は、働いてる会社の社長になろうと思ってた。でもクビになって、そうなれなかった。でもそれまでの間、常に全力を尽くしていたから僕には新しく道が拓けたんだ。

岩佐)最後に、富夢ちゃんはどんな経営者でいようと思う?

岡崎) 僕はこう思ってる。例えば、1010人乗ってる客船があったとして、氷山にぶつかるの。そのとき、A:10人絶対死ぬけど100%の確立で残りの1000人は助かります、っていうのと、B:50%の確立で1010人全員が助かる(でも50%の確立で全員死ぬ)、どちらを選ぶかっていう問題。このとき、平気でAの選択肢をとれる人間がリーダーであり、経営者であるべきだと分かってるんだ。でも僕にはBを選ぶ弱さがある。Aを選べるリーダーでいようと思うんだけど、自分にはできない。これが本当の姿。こんな弱い僕の本性を見抜いて、それでもいっしょについてきてくれる仲間を絶対に守りたい。それが僕の経営者としての生き方なんだ。

(終わり)

#3 岡崎富夢×岩佐大輝  「日本でいちばん屋上を愛する男」が創造する突き抜けたビジネスとは

沖縄・恩納村名嘉真Villa COLORSにて 非日常的なリゾート空間がテラスにひろがる

屋上に新たな価値を生み出したラグジュアリーテラス「COLORS」を生んだ男、岡崎富夢との対談は濃さを増していく。執念ともいえるほど熱い岡崎富夢のビジネス観を語ってもらった。

<#1 「日本でいちばん屋上を愛する男」のその後に迫る>
<#2 「日本でいちばん屋上を愛する男」の運命を変えたできごと>

岩佐) 僕の家も富夢ちゃんのCOLORSセットをいれてる。そこでお風呂に入ったり、友達集めてワイワイしたり、すごく良い時間をすごしているんだ。こんなステキな商品を作る富夢ちゃんだけど、アウトサイドリビングの世界で一番になれた理由は何?

岡崎) うちの会社は、製品が強いから。製品とサービスに対するコスパが一番だから。なぜそうなったかっていうとね、それは僕が一番のユーザーで、考えつくされたプロダクトバリューを提供しているからなんだ。製品とサービスは、やっぱり経営者が一番のユーザーであることが大事。自分が使う側として、快適であるものがいい。それを提供したいと常に思ってるんだ。
それに、僕らは2人だけで会社をやっているから、固定費が抑えられていることによって、競争相手が実現できない低コスト化ができる。ビジネスは「固定費」と「販売量」。利益を目指そうとすると、販売量を増やすか、固定費を減らすかしかない。COLORSの場合、売上を伸ばしても、固定費は2人だけって決めてるんだ。普通だったら、本社つくって、青山にショールーム借りて、社員ガンガン雇って、みたいな固定費をかけようとするよね。でも僕はそうしない。販売戸数を増やしていきながらいかに固定費をかけないか、これを実現するのが僕のイノベーションなんだ。

Villa COLORSにて GRA代表岩佐(右)とPASIO代表岡崎富夢(左)

岩佐) 富夢ちゃんの戦略は一貫してる。これからどんな成長をしていきたい?

岡崎) 今時代が変わって、在宅やテレワークがすすんで家にいる時間が長くなったよね。だから家の楽しさを求める流れは絶対くると確信してるんだ。そこにCOLORSの成長はある。でも建設業界は厳しくて、人口減少にともなって今後10年で住宅マーケットは6割に縮小するっていわれてる。だからここからはマーケットシェアを狙うことよりも、COLORSを軸にしたライフスタイルに賛同してくれる人たちに対して価値を提供できるような、量から質のビジネスに転換していこうとしてるんだ。

岩佐) 富夢ちゃんが目指す「COLORS」とは?

岡崎)僕はCOLORSを尖ったセグメントブランドにしたい。これからのビジネスは、個性や付加価値を大事にしたセグメントビジネスと大衆ウケするマスビジネスに2極化していくと思うんだ。日本っていうのは一億総中間層だから、すぐにマスビジネスをやろうとする。せっかく個性をもったこだわりのものを起ち上げたのに、もっと多いラインアップ、もっと多い展開を狙いはじめてマスに変わっていくよね。一方でヨーロッパはセグメントビジネスがものすごく強いの。彼らは貴族文化による階層意識が根付いているから、マスっていう概念がない。そういう場所で生まれたセグメントビジネスの強さは数字でみると明らかなんだ。例えばユニクロは2兆円売っていて利益は2千億。エルメスは7千億円売って、利益は2千5百億円。30%の売上しかないのに、利益は1.3倍。100年後どっちが生き残っていると思う?僕はエルメスだと思う。これがセグメントビジネスの強さなんだ。僕はCOLORSは完全なセグメントブランドだと思ってる。こども心をもったお洒落な大人たちだけに、違いが分かる大人たちだけに買ってもらえればいい。全部の人間にこれを買ってもらおうなんて微塵も思っていない。違いが分かる人にだけ売る。僕はマーケットのニーズを見据えて商品を売っていくことと同時に、「売らない」ことも大事にしているんだ。ポルシェのCEOが「1ストリートでポルシェを2台以上みたら、戦略性を疑う」って言ったように、セグメントビジネスでは「売らない」ことがブランド価値を高めるために必要なこと。だから僕は人間性,戦略性,センスを兼ね備えた思いを共する経営者とだけパートナーを組んで、シビアにビジネスをやるんだ。

<#4 「日本でいちばん屋上を愛する男」が語る人生の物語 に続く>

#2 岡崎富夢×岩佐大輝  「日本でいちばん屋上を愛する男」の運命を変えたできごと

沖縄・恩納村名嘉真Villa COLORSにて GRA代表岩佐(右)とPASIO代表岡崎富夢(左)

-特別な空間を日常生活の中に-岡崎富夢が世に広めた屋上ラグジュアリーテラス「COLORS」。その誕生と成長の裏には岡崎富夢の壮絶な体験と、どん底の彼を支えた強烈なビジネスパートナーの存在があった。

<#1 「日本でいちばん屋上を愛する男」のその後に迫る>

岩佐) 富夢ちゃんが代表をつとめる株式会社PASIO。設立のきっかけは?

岡崎) 最初のきっかけは前の会社を追放されたことだった。僕は前の会社で2つの事業を立直して会社を蘇らせ、会社の常務まで昇りつめていたんだ。年収は30歳で1000万、35歳で4000万。もうイケイケだったよ。いい酒飲んで、いい女抱いて、いい車買って、悪魔に魂を売ったかのように金を遣いまくってた。その金遣いの荒さに会社が目を付けて、ある日背任行為を指摘されるメールが届いた。でも僕が遣っていたのはほとんど自分の金。僕が接待費として使える会社の金は、当時毎月30万円くらいしかなかった。それじゃ全然足りないから、自腹で何十万円も切って飲ませ食わせしてたんだ。だって僕は絶対将来社長になるって決めていたし、今の給料で私腹を肥やそうなんて小さいこと考えているフェーズじゃなかったから。当時は4000万円くらい年収があって、それを派手に使いまくってた。だからメールが届いたときは愕然とした。

岩佐) それでいきなり収入0になったわけだ。

岡崎) そう、0だよ。金も何もかも失って、車も船も持っているもの全て売った。当時住んでた家賃37万のマンションからも出て、全部失った。完全に自分の慢心が招いたことだったんだ。
さすがにその時は完全に落ち込んだよ。でも一度しかない人生、本当にやりたいことをやろうって思って、一文無しの身で起業したんだ。

そんなどん底の僕のもとにやってきたやつがいたんだ。それが僕の会社の専務。彼は前の会社で知り合ったんだけど、「岡崎が辞めるならこの会社はダメになる。起業するなら連れて行ってくれ。」って言って、普通のサラリーマンのくせに300万円も借金して僕のところに持ってきたんだ。無一文の僕について来ようなんて、ほんとおもしろいやつだよ(笑)彼の言葉に背中を押されたんだ。

岩佐) すごい人だね...!じゃあ今もその専務と仕事をしているんだね?

岡崎) そうそう。前の会社にいたとき、絶好調の時は毎年年賀状が200通きていたのに、クビになって2通しかこなくなった。そうやって全員がそっぽを向いたときに、300万持って来たやつだよ?どん底のときに僕についてきたやつだから、絶対に裏切らないって分かる。
今の会社は自分と専務の2人だけでやっているよ。僕らは完璧な役割分担でビジネスをまわしているんだ。僕が派手な性格でモノを売ってくる役で、専務はそれを収める役。彼がいなくなったら大変だよ。

Villa COLORSでは地元レストランのシェフが提供してくれるBBQが絶品だ

岩佐) 2人だけでこんなに全国にシェアを広げているんだ!富夢ちゃんのすごいところは、明らかに経営スタイル。僕の場合は農業だから数百人単位ではたらく人が必要な産業。でも富夢ちゃんは逆に人を抱えないっていうことを徹底しているよね。

岡崎) そう。従業員を雇わずに固定費をかけないっていう戦略。…っていうのはあるんだけど、僕は自分の性格がウェットなのが分かってるんだよね。すごい人好きだし、世話焼きだし。面倒見ようと決めたら徹底的に見ようとする性格。でもみんなにそうしてると人疲れしちゃうから、もう専務1人しか面倒みないって決めたんだ!(笑)
前の会社は36歳までいたんだけど、その時は部下を200人抱えていた。当時の自分の1日をみると、ほとんどが面談の時間。僕はそれよりも、「風呂に入りながらあそこで映画みれたらいいな」とか、「ここにWi-Fiはったらこんなことできるじゃん」とか考えて、バリュークリエイションをしている方が自分の力を発揮できるっていうことに気付いたんだ。自分が好きなものをビジネスにしているから、とめどなくアイデアが溢れるよ。思いついたことをを専務に伝えたら、彼があっという間に形にしてくれる。僕らは棲み分けをして、最大効率でビジネスを進めていく。それが僕たちの強さなんだ。


人生のどん底を乗り越えた岡崎富夢はCOLORSの成長を加速させていった。次回は、並外れて徹底した彼のビジネス観について、濃密な話を聞くことにしよう。

<#3 「日本でいちばん屋上を愛する男」が創造する突き抜けたビジネスとは に続く>

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岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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