岩佐大輝.COM

旅するように暮らそう!

そして、生活するように旅をしよう!起業家、岩佐大輝の記録。

BCD:Beyond Corona Dialogue #4 「これからのソーシャルファイナスの役割について」


山ちゃん( 山中 礼二)は私の人生の要所に出現し、あり得ないほど圧倒的なパフォーマンスで力を発揮し危機をチャンスへ導いてくれるすごい人。山ちゃんなしでは今の僕はもちろんない。一方で要所以外で何か相談してもほとんど役に立たない人でもあり、とにかく存在そのものが、神秘的な投資家だ。功能聡子ちゃん(Satoko Kono)は誰もが知ってる日本発ソーシャルインベストメントの第一人者だ。僕が企画した東北GRAツアーに一般のお客さんとして参加してくださったていたとき、異常にすごいオーラの人がいるなーと思ったら功能さんだった。今週土曜日、この2人とのトークセッション土曜日にZOOMでたったの500円で参加できる。行かない手はないだろう。申し込みはまだ間に合う。すぐに申し込んでくれ。

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日本初の「アントレプレナーシップ学部」2021年4月開設~伊藤 羊一が学部長に就任!


私が震災後の東北で 福島 雅史ちゃんらと中学生向けキャリア教育ボランティアを始めたとき、一番最初に支援してくれたのが当時PLUSジョインテックスカンパニーバイスプレジデントでガリガリ君仲間だった伊藤 羊一だった。そしてあれから10年、羊一さんが大学の学部長として(アントレプレナーシップ学部)旗を揚げる。もちろん僕も学生起業家の先輩として次世代に恩返しする予定だ。高校生の皆さん、待ってるよ!

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【山元町坂元中学校講話】


10年くらい前に東北で大地震と大津波があった。それをきっかけで子供たちのキャリア教育をボランティアで始めてから、10年近く。今でも年間のかなりの日数をそこに投じている。一貫して伝えているのは、「失敗しても僕たちは生きてるんだから何とかなるよね!」。今日は僕の母校の宮城県山元町立坂元中学校へ。私の頃と比べて生徒数は1/5になり、今年で廃校となりお隣の中学校と一緒になる。寂しいけれど、時の流れ。この活動を最初にサポートしてくれたのが 伊藤 羊一さん。 ご縁はずっとつながる。

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台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る~

#3_imageヘッダー台湾台東県、東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧代表清水さんのアテンドでサーフィンをする場所の下見中、ここでも必ずポーズを取る中央清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


日本人でありながら台湾・東河郷に移住し、サーフィンのパイオニアとして東河郷で活躍する清水淳さんとの会談も終盤に。この地で直面した試練と葛藤,数々の困難に立ち向かいながらもアグレッシブに生きる淳さんが、この場所にかける思いを語ってくれた。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>
<中編 異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る>

岩佐) サーフィンの話に戻りたいのですが、サーファーにとって東河郷は台湾サーフィン聖地と言われる場所ですよね。ここの波はどんな特徴があるんですか?

清水) ここの波はとにかく万人受けする波です。9月から季節風が吹き始めて波のサイズがどんどん上がって、日本に北風が吹いている時期に風を受けて波のピークを迎えます。そのあと4月くらいで高い波は終わって易しいシーズンになる。天気も良いし、暑いし、夏バイブスが溢れます。

岩佐) 本当に良い場所ですよね。サイズも馬鹿みたいに大きくならないし、波数も適度に豊富ですよね。世界中のサーファーが惹きつけられる場所なのも納得。そんな東河郷で民宿を始めるにあたっての苦労はありましたか?

#3_image01今や台湾サーファーの聖地となった朝日が差す浜辺 この美しい景色と波のコンディションは多くの人を虜にする photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) ここは波が良くて人が少ないから、日本人が気に入る場所だとすぐに分かったんですが、どうやろうか苦悩しました。色々やりましたよ、東京に行ってサーフツアーを扱っている旅行会社を全部訪ねました。でも当時、既に南台湾でいくつかサーフツアーを開催していて、現地に詳しい人たちが旅行会社をシークレットポイントに案内していたんです。だから、その人たちが僕が台東で同じことをやることをすごく嫌って、旅行会社に僕と契約しないように圧力をかけていたんです。それで去年まで日本の代表選手は例え僕の民宿に泊まりたいと言っても、旅行会社がアレンジしてくれなかったみたいです。去年は選手の希望もあって僕のところに予約が入っていたのに、直前になってキャンセルされた、なんてことがあったり。でも変えた店の評価が悪かったみたいで、今年はどうしてもという選手の声があって、やっとアレンジをしてくれるようになりました。それまですごくいじめられていたのですが、僕も気が強いのでやられても立ち上がりました(笑)

岩佐) すごい話ですね…。

清水) 僕も気が強いので全然引かないんですよ(笑) 相当色々ありましたよ。裁判沙汰になったこともあります。僕、手を出されて一番悔しかったことがあったんです。サーフィンを教えた台東の若者がいたんですけれど、調子に乗ってオラオラし始めて。ある日そいつの仲間にわざと海でぶつけられたことがあって、あがってきたところで文句を言ったら殴られたんです。でも手を出したら台湾を出なくちゃいけないことになると思ったので、手出ししませんでした。でも本当にムカついて、知り合いのサーフ仲間に刑事がいたので相談したら、「訴えた方がいいよ」って。弁護士を連れて果たし状を持っていって、タイマンを申しこむことまでしたんです。少林寺の師範にジャッジまで頼んでいたんですけど、その先輩たちから「悔しいけど、ここで我慢したら後から得るものがいっぱいある」って説得されて。それで我慢したら、得することがいっぱいありました!
結局僕に手を出したやつは、周りに友達がいなくなって、サーフィンもつまらなくなってやめて、同じような暴力を繰り返して、ボロボロになっていなくなりました。僕は台湾人の友達が増えたので、結果的には良かったです。もしチャンスがあれば、妄想の世界でボコボコにします(笑)

#3_image02エアリアルを次々とはなつ熱帯低気圧代表の清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 戦ってますね…(笑) ここまで来るんだから色々なことがあったんですよね。サーフィンの作法について言えば、たしかに海で波に乗せないように露骨に徒党と組んでブロックしてくる人たちはたまにいますけど、あれはきついですよね。

清水) ローカルの人が多い場所だとなかなか乗らせてもらえないこともありますね。今は何とも思いませんが、当時は本当にムカついていましたね。

岩佐) ローカルとよそ者のサーファーの関係っていうのは万国共通で難しい。

岩佐) さて、最後になりますが、世界に出て何かをやる日本人はそんなに多くない中、こうやって淳さんは台湾で実際に活動していますが、これからのビジョンはありますか?

#3_image03東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA代表岩佐(右)とLowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳(左) photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 今はレストラン経営がおもしろい。この村には今、宿泊施設は既に十分にあるので、次は飲食店を充実させたいです。あと5年後には美味しい店がいくつかできてくると思いますが、その中で僕のルーツである「原住民と日本人の融合」というテーマを大事にしたレストランを作っていきたいです。あとは今も音楽をやっているので、音楽ライブをしたり。嫁に捨てられない限りは台東にいます(笑) この土地には縁があるし、今となっては自分の地元千葉よりも台東が自分にとっての地元ですから。

岩佐) 人生って感慨深いですね!漂流記のような濃い話、ありがとうございました!


(終わり)

台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る

#2ヘッダー東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


日本人でありながら台湾・東河郷に移住し、台湾サーフィンのパイオニアとして活躍する清水淳さんとの対談は続く。
台湾原住民の生活スタイルに魅了され、現地の人々に溶け込んだ生活を始めた淳さん。そんな彼が、なぜここ東河郷で「熱帯低気圧民宿 restaurant & surf guesthouse」の経営を始めたのか、彼の人生をさらに追っていく。

<前編 移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは>

岩佐) 淳さんは東河郷で民宿やレストランも経営していますよね。そこで食べた食事が全部美味しくてびっくりしたのですが、提供する料理やサービスに対するこだわりも強いものを持っているんですか?

清水) そうですね、原住民の生活から得られた哲学が基になっているかもしれません。僕がいた村には、日本人らしい考え方をする年配の方が多かったんです。昔の日本人の思想がものすごく引き継がれている。例えば、とりあえずみんな懸命に働く、怠けない、ものすごく勤勉です。団結して畑を耕して、各々が自分の仕事を全うしています。僕は小さい頃父親の仕事の関係でアメリカで育った経緯もあって、日本人らしいそういうことをしてこなかった人間なので、原住民の人たちから強く影響を受けました。

#2_image01東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて代表清水さん自ら地元の肉製品を燻製にしてゲストに振る舞う photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) どうして東河郷で熱帯低気圧民宿をはじめることになったんですか?

清水) 僕は元々、ブヌン族集落のテーマパークで働いていました。100人くらい収容できる大きな宿泊施設があって、1日に2回原住民の歌と踊りのショーなんかもあったりして。30歳でブヌン族の女性と結婚してその村に住んでいたのですが、サーフィンが好きだったのでバイクにサーフボードを積んで1時間くらいかけて頻繁に東河郷に来ていました。

岩佐) 奥さん、本当に素敵な方ですよねー。それにしても1時間かけて通い詰めるということは、サーフィン本当に好きなんですね。

清水) やっぱりサーフィンは好きなんです。台湾に来た当初から、ここは波も良いし、人も少ないスポットだと知っていたので、当時からこの場所で何かできたら良いなと漠然と思っていたんですよね。それで結婚した後、1年くらいかけて本格的に民宿を始める構想を立てて。市街地からのアクセスだったり波の具合など考えた結果、この東河郷が一番良いなということになったんです。

#2_image02移住当初は何もなかった場所もいまやロングボード世界ツアー最終戦の地に photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 今でこそ台東っていったら台湾サーフィンの聖地っていわれているけど、この民宿をはじめた当時はどうだったんですか?

清水) サーフィンをやっている人なんていませんでした。台東にサーフィンを持ってきたのは僕なんです。今年WSL(ワールドサーフリーグ)の世界大会がここで開催されますが、それも計画の内でした。もともと僕らが結成した台東県サーフィン協会という団体があって、大会を開いていたんですが、その大会がだんだん大きくなってきて世界大会にしたいなと思って。そこでWSLに僕がメールを送って、この場所を紹介し、理事長にも会いに行きました。そんなやり取りをしていたら、台東県が話に乗ってきたので政府に主催してもらい、台湾国際サーフィン大会が開かれることになりました。

岩佐) 国をあげて誘致をするようになったんですね。あのWSLがここで大会を開くなんて、びっくりですよね。僕もここで開催されるCTロングボードツアーの最終戦をテレビでみますけど、ほんといい波。

清水) はい。台東は他の地域と比べてイベントが少ないんです。あるものといったら、熱気球をあげるバルーンフェスタかサーフィン。でも逆に2つしかないから、予算がたっぷり出るんです。WSLのサーフィンの大会で2000万以上出ていますよ。まだ大会までしばらく時間があるのに、もう会場設備を立て始めているくらいの熱の入れよう。台東といったらサーフィンといわれるくらい政府もバックアップしています。

岩佐) そうなんですね。それで台東が人気になってきたわけだ。今日もここのメジャーポイントに入りましたが、2ピークでサーファーが50人くらいはいたかなー。

清水) じわじわ人気が出てきました。現在も15~20%くらい毎年増加しています。3,4年前までは日本人がたくさん来ていたのですが、台東が世界的に有名になってからは、欧米人の観光客も多く来るようになりました。

#2_image03台東、レギュラーのロングウォールが最高。GRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) 僕が住んでいる山元町もコンスタントに良い波がある場所なんですが、こんな感じに色々なところから人が来たりするような場所ではないんですよね。どうやったらこういうオープンな場所になるのかな?地方創生のヒントが欲しい。

清水) ここは元々移民の国で、台湾人だって元々は中国から渡ってきた移民たち。そういうベースがあるので、基本的に寛容な気質なんですよね。知らない人が1人で道を歩いていたら「一人でいないで一緒にこっちでメシ食べようよ!」って言ってくる、みたいな人たちです。だからよそから来る人が入り易いっていうのがあるんじゃないかな。でも、僕が台湾に来た当初行った宜蘭のハネムーンベイは当時本当に閉鎖的で、よそ者を受け付けない場所でした。観光客を現地人がボコボコにするような事件も起きていた。そういうことをしちゃったから、下の世代が育たなくなっちゃったんです。つまり閉鎖的になった結果評判が悪くなって、人が来なくなっちゃったんですよね。
でもそんな宜蘭も今は暴力事件がほとんど起きない場所になりました。当時はヤクザがサーフショップや大会を荒らす事件を繰り返していたのですが、ある芸能人が自分が開いた大会を荒らされたことで刑事告発をしたんです。それを発端にして、地元老舗サーフショップとヤクザの関係性が明るみになる一大週刊誌沙汰になって。そこから、台湾のサーフィンにおける暴力は完全にアウトになりました。

岩佐) そうなんですね。でも、人の気質の問題になると、地方創生を目指す人たちにとっては難しい課題になりますよね。

清水) 日本の田舎は入りずらい。僕もアウェイ感を感じます。元々の閉鎖感が変わっていないんですよね。

岩佐) そうかもしれない。「異質に対する寛容さ」,地方を盛り上げるために必要なマインドかもしれませんね。

#2_image04東台湾の海辺を散策、ローカルのあり方を考える photo by DRAGONPRESS沼田孝彦



台東にサーフィンを根付かせ、サーファーにとっての聖地と言われるまでの場所に変えた淳さん。次回、そんな彼がここ東河郷で直面した数々の試練と、それを乗越えてこの場所に住み続ける理由を聞いていきます。


<次回 台湾に根付いた人生とその先に描くビジョンを語る に続く>

台湾在住サーファー清水淳×岩佐大輝 対談~移住の地・台湾で追い求めるスタイルとは~

あたたかな日差しが降り注ぐ台湾サーフィンの聖地, 台湾台東県・東河郷。日本人でありながらこの地に移住し、サーフィンのパイオニアとして東河郷で活躍する清水淳さんに会ってきた。サーフィン好きどうし、どんな話ができるかドキドキだ。

台湾台東県、東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA代表岩佐(右)とLowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳(左) photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) いやー、久しぶりですねー。台湾には20年ほど前から仕事でちょくちょく来るようになったのですが、ここ数年、農業を始めてからは頻繁に来るようになりました。もちろん、出張に合わせて必ず海に入っています。台湾、特にここ台東の波は本当に素晴らしい。サイズもパワーも形もどれもパーフェクト。で、清水さんが、最初に台湾に来たのはいつでしたっけ?

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にてGRA岩佐 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 22歳の時です。僕が行っていたアメリカ・ロサンゼルスの音楽大学には世界中から留学生が集まっていたのですが、その中で僕は台湾人の留学生グループに入っていました。台湾人グループの人たちは面白くて、とりあえずみんな優しかった。そこで台湾という国のことを知りました。卒業して日本に戻ってきてから、台湾に遊びにいこうということになって。それが最初の台湾です。

岩佐) アメリカにいたんですねー。どうりで英語が上手だと思った。大学卒業後は何をしていたんですか?

清水) そのあと4年間は東京で音楽関係の仕事をしていました。仕事は真面目にやっていましたが、自分には東京が合わないと感じ、こりゃダメだと思って(笑) 仕事をしながらも年に2回くらいは台湾に来ていました。とりあえず台湾が面白いと思っていたので、それから本格的に台湾に移りました。

40歳を過ぎてからエアリアルの練習を始めたという清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦40歳を過ぎてからエアリアルの練習を始めたという清水さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) そこから台湾でサーフィンやり始めたのですか?

清水) 初めて来たときから、なぜかサーフボードは持ってきていたんです。アメリカでもやっていたので、できるだろうな、と思って。当時、台北・ハネムーンベイというところにサーフショップがあるという情報を唯一ゲットし、台湾にはじめてサーフィンを持ってきたジェフさんという人を訪ねました。それでジェフさんにサーフィンができる場所を教えてもらいました。海にだれもいなかったので、素っ裸でサーフィンをしたのを覚えています。

岩佐) 気持ちよさそうですね。当たったら痛そうだけど・・・。

清水) はい。近くに店が建つまでの3~4年間はよく素っ裸でサーフィンしていました。

岩佐) 当時は台北に住んでいたんですか?

清水) そうですね。26歳の時に「俺は台湾で暮らしていける人になろう」と決めました。東京での生活は当時月収が20万円くらいで、世田谷にアパートを借りて生活していました。でも毎日カツカツの生活。台北なら7~8万円あれば当時は東京と同じような生活ができたんです。だから台湾のほうが暮らしやすいなと思って、移住を決意しました。そのためにビザを取る必要があったのですが、僕がビザを取るには学生になるしかなかったので、台北の師範大学という語学に通って中国語を勉強しながら、音楽学校で楽器を演奏するアルバイトをしていました。そのアルバイトは当時でも時給500台湾元(当時約2000円)。ライブに出ると1時間で2000台湾元くらい。結構稼ぐことができたので、良い暮らしができましたね。

岩佐) 中国語を勉強しながら、アルバイトをして、サーフィンをする生活だったんですね。

清水) はい、得意の「フラフラしながらの生活」でした(笑)
そんな生活を1年くらいしていた時に、台北でレゲエのバンドに誘われました。当時まだ台湾でレゲエが浸透していなかった中で、そのグループに人気が出てきて、台湾各地をまわるツアーにいくようになったんです。それがきっかけで台東県・宜蘭にも来るようになりました。でも宜蘭の雰囲気があまり好きになれなかったんですよね。

LowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦LowPressure restaurant & surf guesthouse熱帯低気圧 代表清水淳さん photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


岩佐) それはなぜ?

清水) 台湾は親日の人が多いのですが、宜蘭は割とローカリズムが強い場所だと思ったんです。

岩佐) そうなんですか。僕もたまに宜蘭に波乗りに行きますが、冬場は波のパワーも波数も十分で、いいエリアですよね。

清水) 当時の宜蘭は暴力事件ばかりでした。危なかったです。騒いだりする外国人がいると、現地人10人くらいが囲んでボコボコにする、なんていう事件がよく起きていました。

岩佐) それは、すごい時代ですね…。

清水) そう。原住民に対しての悪い噂もよく聞いていました。でも、初めて台東の原住民の人たちの集落に行ったとき、それまで持っていたイメージが大きく変わりました。原住民の人たちのほうが自分は合うし、こういう生活がしたかったんだ、と思ったんです。みんな自給自足に近い生活をしていて、レゲエの価値観とも近かった。それで自力で住み始めて、結婚もしちゃいました。

岩佐) そうなんだ。奥さんは台東の人?

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて淳さんの弾き語りにあわせ一緒に歌を歌う会計中だった奥様 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧にて淳さんの弾き語りにあわせ一緒に歌を歌う会計中だった奥様 photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


清水) 台東の山の人です。ブヌン族出身。ブヌン族の集落で音楽イベントをやっていた時に知り合いました。ブヌン族の村の人はすごくて、原住民のテーマパークみたいなものを作って運営していたんです。歌と踊りのステージをやったり、畑で採れたフルーツを使って加工品を作って売り物にしたり、雑貨を作ったり、色んなものを作っているんです。普通だったら地元には仕事がないから、若い人は村から出ていくじゃないですか。でもそうじゃなくて、彼女の村の人たちは自分の土地で暮らしていけるシステムを作っている。僕はそこに影響を受けました。僕が台東に住み続ける理由です。

岩佐) それは意外ですね。ここは波が素晴らしいから、そのためにいると思っていました。僕も世界中どこに行ってもサーフィンをするのですが、ここ台東の波は素晴らしいですよ。

清水) 僕は波を求めて世界中を回っているんじゃなくて、音楽とライフスタイルのために回っているんです。自分の見える半径1キロ以内で生活の大部分を賄うっていうライフスタイルを自分は求めていたんですよね。

東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧の目の前にある海辺にてカメラを向けると必ずなにかしらポーズを取ってくれる photo by DRAGONPRESS沼田孝彦東台湾ホテル&レストラン熱帯低気圧の目の前にある海辺にてカメラを向けると必ずなにかしらポーズを取ってくれる photo by DRAGONPRESS沼田孝彦


台湾で出会った原住民の人たちから強く影響を受け、台東での暮らしを始めた淳さん。次回は淳さんが経営する民宿の話も聞いていきます。


<次回 異質に対する寛容さが魅力あるローカルを創る に続く>

新規就農支援事業


~ITで形式知化された農業の横展開~
将来のミガキイチゴの生産者を募る、関東での説明会が今月5月14日品川の会場で行いました。

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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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